異文化理解の始まり
大学は実家の近くにある日本語専攻の大学に通い、そこで4年間学びました。最初の2年間はフィリピン人の先生から基礎的な日本語を学びつつ、教科書を通じて日本文化にも触れました。しかし、3年生になると状況は一変。今度は日本人の先生による会話レッスンが始まり、プレッシャーが倍増!息抜きの科目もどんどん減って、授業の8割が日本語オンリーという状況に。
私にはある「技」がありました。それは、先生と目が合わないようにして自分の順番を回避すること。これで3日間はなんとか乗り切りました。しかし、クラスの生徒数は15人程度。結局、私の番はすぐに回ってきました。私は失敗だらけで落ち込みもしましたが、そんな私を日本人の先生たちは丁寧にサポートしてくれました。結果、退学することなく無事に卒業。「よく頑張ったなぁ」と、今振り返ると感慨深いものがあります。
日本での生活と予想外の文化ギャップ
そしてついに、長年の夢だった日本で働く機会が訪れました。なんとか生活には困らない程度の日本語でやってきましたが、家具家電付きの築30年以上の2LDKマンションで一人暮らしを始めると、フィリピンで一人暮らししていた時とは少し違う感覚がありました。無駄に広い…と思いつつも、どこか快適で、それがまた不安にも感じるという不思議な空間でした。
ある冬の夜、仕事から帰宅した時のことです。玄関で電気をつけようとしたら、部屋が真っ暗なまま。「どうしよう!」とパニックになり、すぐに総務の方に連絡しました。すると、「もしかして、電気代を払ってないんじゃないですか?」と言われ、びっくり!フィリピンでは家賃や光熱費は管理人が現金で支払っていたので、電気代を自分で支払うという考えが頭になく、「え?私が払うんですか?契約には家賃が立て替えられてるって書いてありますけど…」と驚くばかり。総務の方も異文化を感じたのか、「とりあえずコンビニで払ってみて、明日また話しましょう」と言われました。思わず、「コンビニで〇〇マンションの〇〇号室って言えばいいんですか?」と返したところ、きっと相手は「地獄だ…」と感じたに違いありません。
異文化の真の理解
こうして分かったのは、異文化の違いは単なる伝統や言語の違いではなく、もっと深い部分に根ざしていることも多いということです。総務の方にとっては「日本語が通じないフィリピン人」の一人に見えたかもしれませんが、私にとっては、ただ違う価値観や考え方が根底にあるだけです。その違いが、ここに来て初めて深く理解できるようになりました。
日本での生活を始めてから、私はフィリピンと日本の架け橋として仕事をするようになりました。フィリピン人と日本人が揉める際、その原因のほとんどが「異文化」に起因していることが多いです。例えば、仕事中に「鼻歌を歌っていた」、「香水が強すぎる」、「うるさくて集中できない」といった不満を耳にします。フィリピン文化と日本文化を両方知っている自分からすると、ただ注意するだけでは反発されることが多いので、まず異文化について説明し、「お互いのやり方を少しずつ合わせていこう」という対応を取るように心がけています。
異文化の違いと新しい発見
「仕事だから、ありえない」という意見も理解できますが、文化の違いを考慮すると、ありえないこともありえる話です。日本の人から「日本だから!」と言われるたびに、異文化とは何なのか考えさせられます。また、自分自身がフィリピン人として、他のフィリピン人とも異文化を感じることがあります。それもまた異文化です。自分が感じているからこそ、それを認識することができるのだと思います。
日本での暮らしや仕事の経験から、私は異文化に対する理解を深めることの大切さを学びました。異文化はただの伝統や言葉の違いにとどまらず、その背後にある考え方や価値観の違いを理解することが、真の相互理解へとつながるのだと信じています。
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