フィリピンでの経験来日する前の自分はセブにある日系企業で働き、日本の考え方は大体理解していると思い込んでいました。しかし、フィリピンにいる日本人は、実際にはフィリピンの社会に溶け込んでいることが多いことを、今になって気づきました。それを無視しがちなところがあったと思います。
ありがたいことに、配属先の技術部の当時課長は元文部科学省奨学者で、日本語はペラペラ、頭も良く、今でも尊敬している存在です。課長は、会社で誰よりも日本人技術者を理解している方でした。私はその部署で片言の日本語しか話せない通訳担当でしたが、課長はまるで「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えろ」というように、育ててくれました。
当時、私はただ「すごい」とか「よくできました」と言われたかっただけでしたが、課長から「自分の意見を言えないままで、どんなにうまく話せても無駄だよ。まずは、自分が正しいと思うことをやって、成功したら報告して、失敗したらアドバイスするから、言ってみて」と言われました。その日から、周りの技術者に聞きながら、電子工学の基礎から学び始めました。この経験は、仕事だけでなく人生に対する考え方を大きく変えるきっかけとなりました。
2017年に「もっと日本語を勉強したい」と軽い気持ちで来日しました。最初は、日本の社会に対する違和感ばかり感じて、頑張る気持ちよりも「自分はなぜここにいるんだろう?」と感じることが多かったです。不安で、正直に言うと帰りたくなることもありました。しかし、自分の能力が足りないからこそ、不安定になっているだけだと思い、2020年に自分の得意な業界に転職しました。
日本でのカルチャーショック言語にも慣れ、少しずつ異文化に対する理解も深まる中、気づいたことがあります。それは、日本の社会に溶け込んでいると思っていた自分が、逆カルチャーショックを感じた瞬間です。会社にフィリピンから新しい実習生を受け入れた時、自分のルーツに対して違和感を覚えたのです。この瞬間、私は自分がどれだけ日本の文化に影響されていたかを実感し、同時に異文化の理解がいかに重要かを痛感しました。
日本文化に対する新たな視点その瞬間から、外国人労働者が、日本の考え方や仕事の進め方を理解しないまま仕事をしていると、誤解が生じ、最終的にはトラブルが発生する可能性が高いことに気づきました。どれほど本人が意欲的でも、そのままでは上手くいかないことが多いのです。
そして、私自身がそのギャップを埋めるためにどんなことができるのかを考えるようになりました。それが、このブログを始めたきっかけです。異文化理解が進むことで、より良い環境を作るためには何が必要かを模索し続けています。偏見やステレオタイプを取り除くことが、バタフライ効果のように広がり、最終的にはすべての人にとってウィンウィンの結果を生むと信じています。